軍艦島コンシェルジュのブログをご覧の皆様、お久しぶりでございます。
4歳の時に山で遭難し、翌日裸足で隣の町の交番からパトカーで帰って来た
船員の 高尾 です。
先日、母と電話する機会があったのですが、なんと母は学生の頃に仲の良かった友人が軍艦島に住んでいたらしく、何度も軍艦島に遊びに行っていたそうです。
「小さい島やけん初めて会う子もすぐ仲良くなって、みんなでドッジボールばしたとよ」
「何でも売ってあってびっくりしたばい」
「階段の急でお母さんおとろしかったばってん、友達は慣れとっけんさっささっさ行くとさー」
と、すごく懐かしそうに語っていました。
4歳の頃心配かけてごめん、母ちゃん・・・
1974年(昭和49)に無人島となった軍艦島。
無いものは無い と言われた軍艦島。
そんな軍艦島で生まれ育った方を招いて、先日軍艦島コンシェルジュのラウンジでは講演会が行われました!
母と同じように、当時を懐かしみながら語っておられる姿からは、仕事や暮らしの様子がリアルに感じられました。
「姿が軍艦に見えて珍しいから」
というだけでなく、あの暮らし、あの町が消えた歴史を伝えるために我々コンシェルジュメンバーは頑張ります。
そんな軍艦島ですが・・・
波に拒まれて上陸できず。。。
台風の影響により、うねりが大きかったです。
はしっこの島 で 端島 が軍艦島の正式名称ですからね。
影響を受けやすいんです・・・
船員 堺 も何だか寂しそう・・・
ですが。
軍艦島コンシェルジュには頼もしい仲間がいます!
軍艦島デジタルミュージアム
最新鋭のデジタル機器と技術により、当時の軍艦島のくらしが蘇ります。
軍艦島コンシェルジュは
歴史のコンシェルジュ。
皆様のお越しを心からお待ちしております。
うちの母も、待っています。