軍艦島コンシェルジュのブログをご覧の皆様
ご機嫌いかがでしょうか?
東京で美容師をしていた時のアダ名は、長崎出身だから『ちゃんぽん』だった
船員の 高尾 です。
今日ご紹介するのは、軍艦島コンシェルジュのツアーに参加なさる皆様と、そして我々軍艦島コンシェルジュの社員にとって欠かせない人物です。
2016年、冬。
軍艦島コンシェルジュに
ついにあの男が
帰ってくる。
荒波を乗り越え海を渡り
熱いマグマに向かってコールピックを打ち込み
六畳間で激動の昭和を走り抜けた
鋼の友次 こと
木場田 友次!!!
Facebookを使いこなす78歳。
軍艦島で実際に炭鉱夫として働き生活をした弊社の名物ガイドです。
外国メディアからの取材もかなり多いんです……
右側の男性は軍艦島デジタルミュージアムのネイティブナビゲーターで、
中学校を卒業するまで軍艦島で暮らしていた
木下 です。
が。
ガイドの木場田は数年前から関節を痛めており、この度手術のため約3ヶ月ほど療養とさせて頂いておりました。
手術前はツアー前に鎮痛剤を飲んで船に乗っていたそうで
まさに鋼の男……
と、屈強な表現をしていますが、
実際はとてもユニークで知識も豊富なジェントルマンです。
7人がそれぞれの歴史を語ります。
その中でも、軍艦島で働いた経験は他が語れない貴重な記憶です。
生ける軍艦島、木場田友次。
ぜひ一度会いに来てください。
そして船員 高尾 にも、会いに来てください。
ちゃんぽんの歴史と美味しいお店と、
美容師時代チラシ配り中に畑に突き刺さった思い出について熱く語ります。
軍艦島コンシェルジュは
語りのコンシェルジュ。
皆様のお越しを
心からお待ちしております。